広田の郷土史

私たち広田地区自治協議会は郷土の歴史や風習など次世代に繋げていきたいと考えております。
古い資料や写真、映像等をお持ちの方はご協力ください。
デジタルアーカイブするとともに地域活性化に寄与していけるものと信じております。

広田城

早岐と広田の境を流れる小森川の河口を通ること二分、右手に五〇メートル程の壁を立てたような断崖がある…


広田自治協議会

鳶ノ巣城

重尾町と浦川内町の山境陵線の小丘に城跡がある。 
天正十四年(一五八六年)大村純忠が兵を起こして広田城を攻撃するために築いた大村軍の出城であったといわれている… 


舳ノ峰番所(へのみねばんしょ)

広田から宮に通じる県道の途中に重尾峠がある。 かつては「舳の峯峠」といい、平戸城下から福岡、長崎方面に通じる平戸往還の要衝でもある。それにここが平戸藩と大村藩の藩境だったから旧藩時代に旅人を調べる番所、つまり、関所があった…


広田皿山(ひろださらやま)

小森川を重尾方面に向って渡り、しばらく歩くと広田町の左側鶴ケ丘、右側花立の道にさしかかる…


大手原塩浜(おおてばるしおはま)

崎岡町大手原(塩浜ともいう)此の塩田は寛政三年、平戸松浦藩の事業として創設された…


なきびす様(なきびすさま)

小森橋を渡り、重尾道に入り瑞光寺跡の前を通りすぎて、尚も進むと、広田町と重尾町を分ける金田川がある…


岡平兵衛母の五輪塔

立派な五輪塔で有耳五輪塔といわれる。高さ約一、八メートル、碑面に南無阿弥陀仏、その下に小さく「高月妙身」と有り、裏に為母施主岡平兵衛とある…


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佐々加雲の墓

広田小学校の校門の前に立ち、左前方を見れば、雑木がこんもりと茂っている小高い丘が見える…


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ぜんがめ古墳

重尾の二っ岳峠のバス停留所より少し北側に「ぜんがめ」と言う所がある。昭和七年頃、下波佐見村まで貫通した、いわゆるぜんがめ越え林道の傍にある…


石仏さま

崎岡町の岡の谷と千田の中間、旧崎岡里道の傍にあったが、二〇五号道路工事に当って、千田側に寄せて建て直された…


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殉国の碑

昭和三十七年二月、住吉神社外苑の小高い丘に殉国の霊碑が建設された…


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住吉神社(すみよしじんじゃ)

本神社の縁起は古く、「日本書記」の時代にさかのぼり、社伝によれば、第十二代景行天皇が日向の熊襲親征のため…


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三島神社(みしまじんじゃ)

住吉神社の裏手海岸に、海抜二十五米位の小高い丘がある。面積は五反七畝歩(旧台帳)である…


広田観音堂(ひろだかんのんどう)

昔々、今から数百年前、広田村のお年寄たちに親しまれた瑞光寺という名の仏教のお寺があった…


重尾不動明王(しげおふどうみょうおう)

重尾免の中心地にまつってある。浄漸寺文書に「不動明王但」石仏にて七尺五寸、横二尺とある…


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草住神社(くさずみじんじゃ)

205号道路の崎岡町大手原バス停より左へ宮田の部落に入る細道を行くと左手に小高い丘がある…

時代地元歴史年地元の歴史前後の全国の歴史
奈良・飛鳥時代732肥前風土記完成710 奈良に平城京
平安時代811指方氏が針尾を支配794 京都に平安京
1069松浦氏の祖先源久が今福に来る1086白河上皇が院政を始める
1185松浦党武士ら壇ノ浦の戦いで平家の水軍として参戦(のち寝返る)1185 平家が壇ノ浦で滅びる
鎌倉時代1274元寇に対し多くの松浦党が防戦1274 元が日本を攻撃(文永の役)
1281元寇に対し多くの松浦党が防戦1281 再、元襲来(弘安の役)
1285早岐又三郎清(松浦党)の名が現れる
室町戦国時代1492松浦諫が佐世保城主
1545佐世保は大村藩家臣の遠藤氏により支配1543 ポルトガル人により種子島鉄砲伝来
1550ポルトガル船平戸入港ザビエルが平戸に来る1549 ザビエルが鹿児島に着きキリスト教を伝える
1564佐世保・日宇・早岐・指方が平戸領となる
安土桃山時代1586大村純忠が広田城を攻めるが平戸松浦氏の援軍で撃退される、平戸と大村の国境を「舳ノ峯」に決める1582 本能寺の変、太閤検地
1592朝鮮出兵(文禄の役)で松浦鎮信が従軍多数の朝鮮陶工がつれてこられる1590 豊臣秀吉全国統一
江戸時代1614宗門改めキリシタンの取り締まり実施1603江戸幕府開く
1653早岐に田原新田完成1639鎖国
1665平戸藩が早岐に宿場をつくる1685生類憐みの令
1707平戸領内に大地震が起きる1707宝永の大地震
1718早岐の境で百姓一揆1716徳川吉宗の享保の改革
1747早岐で大火事 150戸焼失
1758早岐で大火事 194戸焼失
1791広田の大手原で平戸藩が製塩1787松平定信の寛政の改革
1813伊能忠敬が佐世保周辺を測量1820伊能忠敬「大日本沿海興地全図」
1850吉田松陰が平戸への途中早岐・佐世保を通る1853アメリカのペリー来航
1856早岐の田の浦に平戸藩御用鯉御囲池をつくる
明治時代1871平戸藩から平戸県へ、統合で長崎県1871廃藩置県
1872早岐に郵便役所設置
1873崎岡に広田小学校開校
1874早岐に小学校
1889崎岡・浦川内・重尾・宮崎免で「広田村」となる1894日清戦争
1897早岐駅開業(早岐・武雄間開通)
1902佐世保に市制がひかれる
1905佐世保市内電話開始1904日露戦争
1906佐世保市内に電灯が灯る
1908佐世保市内で水道による給水開始
1912佐世保市内中心部にガスの供給1914第一次世界大戦
1918早岐に「乗合自動車」走る
1920西肥自動車設立1923関東大震災 9月1日
昭和時代1927広田村、早岐と合併して早岐村となる
1942早岐を佐世保市に編入1941太平洋戦争開始
1945佐世保大空襲で市の中心部大半焼失1945太平洋戦争終
1952日米行政協定で佐世保が米軍基地に指定1950朝鮮戦争
1955西海橋が開通
1958NHK佐世保テレビ開局
1968米海軍原子力空母「エンタープライズ」が佐世保入港1960日米安保条約調印
1968早岐バイパス完成
1972早岐駅機関区から蒸気機関車姿消す1972沖縄日本復帰、日中国交回復
1976佐世保線電化で「特急みどり」が運転1973石油危機、物価上昇
1983佐世保東商業高校が早岐より重尾に移転
平成時代1990ハウステンボス開業1989/04消費税3%
1991「佐世保市立広田中学校」開校1991湾岸戦争起こる
1998佐世保東商業高校が「長崎県立佐世保東翔高等学校」に校名変更。
商業科・情報処理科を総合学科に改編
2019/04 消費税5%
2000「長崎国際大学」開校
2001佐世保駅の高架化完成
2017広田小中連携がはじまる
令和時代2019/10 消費税10%
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