二〇五号道路の崎岡町大手原バス停より左へ宮田の部落に入る細道を行くと左手に小高い丘がある。
その丘に祭ってあるのが草住の墓地である。
此の路が往時崎岡免の里道であった。
左側に小高い山があったが今は工事の為削られて神社だけが残っている。
猿田彦命を祀ってあるといわれ、その処が三叉路であるため案内の道神とされていたがいつの頃からだろうか、近頃はイボころりの神として誰が信じているのか祠の前に小指位の小石を多数に並べてある。
戦前は墓の上にある観音堂の庭に於いて浮立の夏祭りが行われていた。(桑木場流は鉦七番まで)
赤子より伝わった横手流であり、鉦も一番~八番まであったが、大正の末期、宮田浮立代表者谷口巽氏と岡の谷桑木場流代表者、中村安吉氏の両代表によって一つに統一され、崎岡浮立と改名され、崎岡浮立として継承されている。
広田小学校創立百周年記念誌抜粋