立派な五輪塔で有耳五輪塔といわれる。高さ約一、八メートル、碑面に南無阿弥陀仏、その下に小さく「高月妙身」と有り、裏に為母施主岡平兵衛とある。
天正十四年四月、井手平城で戦死した城主岡甚右衛門の末子平兵衛が建てたもので、恐らく江戸初期のものではあるまいか。もとは小森川畔にあったらしいが、移建されて、今は小森橋を渡り、重尾方面へ少し歩けば、右側に住吉神社参道入口があるが、その反対側の左側の石段を上る花立墓地入口にある。
早岐郷土史概説より
立派な五輪塔で有耳五輪塔といわれる。高さ約一、八メートル、碑面に南無阿弥陀仏、その下に小さく「高月妙身」と有り、裏に為母施主岡平兵衛とある。
天正十四年四月、井手平城で戦死した城主岡甚右衛門の末子平兵衛が建てたもので、恐らく江戸初期のものではあるまいか。もとは小森川畔にあったらしいが、移建されて、今は小森橋を渡り、重尾方面へ少し歩けば、右側に住吉神社参道入口があるが、その反対側の左側の石段を上る花立墓地入口にある。
早岐郷土史概説より
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