八幡神社の由来

 重尾免の地頭神で、住吉神社の無格社である。
広田小学校より県道に出て子泣地蔵堂(なきびす様)をすぎると碧水橋に達する。そのたもとより左に旧往還重尾街道の小路が川に沿って山裾をぬうている。暫く行くと、左側に古い鳥居があり、すぐ石段になっている。それを登ると長い参道にかかるが両側には数百年を経たと思われる椎、たぶ等の巨木が昼なお暗い程覆い茂っている。

 参道の尽きるところに凡そ100段の急な石段があり、登りつめると拝殿と神殿が苔むした手洗石、石灯籠、唐獅子の奥に見える。鳥居は元禄13年、手洗石は文政5年、石灯籠は安永と明治年間の建立であり、共に今を去る200年ぐらい前に建てられており、その一基には折尾瀬村源長右衛門と銘されており、他の一基重尾村寄進となっている。神殿も拝殿も共に立派な建築であり、現在のものは平成元年に氏子や篤志家の寄付で再建されたものである。絵馬はほとんど散逸しており、僅かに祭具や大太鼓があるにすぎないのである。

浄漸寺文化時代の文書の伝える所によれば「重尾八幡宮定祭9月29日、古は長福寺と申宮司等未寺にて社辺に有之候処御光代様営まれ右寺号江迎へ御引移候只今寿福寺と申伝候社領十石」とある。
 考えてみるに、八幡宮は重尾街道の入口に南面して鎮座して、その境内の広さはさることながら社域は北東の山林(現在宅地五所帯並びに畑地を含み)凡そ1ヘクタールの広域を占めている。浄漸寺文書に社領一〇石と記されていることなどにより察しても極めて権威ある神社で、往時は重尾免はもとより近隣より崇敬が篤ったことがうかがえる。大祭日は9月29日、昔は相撲が奉納されていた。再建された時には神楽が奉納されたが、現在では祭礼のみとなっている。
 郷土の参土(鎮守)の神であったとともに、よりさかよぼれば真言宗の長福寺まで社辺にあり、喜びにつけ悲しみにつけ祈願、祈祷のメッカであった思われるのである。

 その創建は重尾方面が開拓され、農業が急に発達しあ徳川幕府初期以前と思われるが、少なくとも鳥居の建立されたのは今を去る275年より古いことは確かである。

広田小学校創立五百周年記念誌抜粋

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